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  ■ 東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂の歴史  
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東京教区カテドラル(司教座聖堂)の変遷


東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂の歴史 

 昭和20年(1945年)の東京大空襲によって焼失するまで、東京大司教座聖堂は木造ゴチック式の聖堂でした。明治32年(1899年)に聖母仏語学校の学生によって『まい瑰塾』付属聖堂として建てられ、明治33年(1900年)に関口小教会の聖堂となり、やがて大正9年(1920年)に東京大司教座聖堂となりました。建設当初は信者席には畳が敷かれておりましたが、昭和になって中央信者席に椅子が設けられるようになりました。当時は履物を脱いでから聖堂に入ることになっていました。明治44年(1911年)にはルルドの洞窟が仏宣教師ドマンジエル神父により建てられました。第2次世界大戦で全焼したものの、ドイツのケルン教区の支援によって大司教座聖堂の再建設が決定しました。丹下健三氏の設計により、昭和35年(1960年)に起工、昭和39年(1964年)12月8日落成、献堂式を挙行。8面の双曲抛物面(そうきょくほうぶつめん)をほぼ垂直に建て掛けた構造は、一大十字架形をかたどっています。ユニークな教会建築として世界的に知られ、外国からの見学者も多く見られます。高さ 39.4メートル。鉄筋コンクリート造。



東京教区カテドラル(司教座聖堂)の変遷
 東京教区の司教座聖堂の移り変わりを写真でご紹介します。
 (「東京教区の歴史」もどうぞ併せてご覧下さい。)


 1877〜1920 築地教会

 1877.7.1
 北緯代牧区の司教座が横浜から築地に移動。(建設に着手)
 1878.8.15
 献堂式(築地聖ヨゼフ教会)
 1923年関東大震災にて焼失。当時は煉瓦作り。詳しくはこちら→築地教会

 ※ 写真は1927年に建てなおされたギリシャ風の木造建築です。(現:築地教会)



 1920〜1945 関口教会 (小石川聖マリア教会)

 ※1945戦災により焼失





 ←聖堂内部
   中は畳敷きで、靴を脱いで入りました。


 


 1945〜1964 神田教会


 関口教会焼失の為、仮の司教座聖堂となりました。



 


  ・・・建築中の現カテドラル・・・

 屋根と壁面が一体化しているこの建物(シェル構造と呼ばれています)には、
 約8,000組の枠組からなる足場が作られました。
 写真はコンクリートを流し込んでいる過程です。
 最上部では地上40m以上にもなる足場の上を
 たくさんの作業員が猫車(土砂などを運ぶ手押し車)を
 押しながら行き交いました。

 


 1964〜    関口教会(現在のカテドラル)
   1964.12.8 献堂式
   2004.12.8 献堂40周年






 

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