カトリック東京大司教区
 
Catholic Church * Archdiocese of TOKYO


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 『宴への招き−福音宣教と日本文化−(改訂版)』 

 
岡田武夫大司教インタビュー 2007.4.13


 



あかし書房発行

カトリック書店、サンパウロの ネットショップなどにてお求めいただけます。

 

Q1.今回は改訂版の出版ということですが、もともとはいつ頃、どのような理由で
   書かれたのですか?

大司教

 司祭として千葉県の柏教会(現・豊四季教会)を担当していた頃の1983年に出版いたしました。かつてわたしはローマに留学したことがあったのですが、当時、ある神父様に「あなたがローマ・グレゴリアン大学で学んだことを短くまとめてください」と言われて、「第一章 日本の福音宣教」(これが要約なのですが)を書きました。その後『布教(現・福音宣教)』誌に執筆したものなどを加えてまとめたのが最初の本です。


Q2.ローマではどのようなことを学ばれたのですか?

大司教

 留学をした1975年に教皇パウロ六世が使徒的勧告『エヴァンジェリイ・ヌンティアンディ(福音宣教)』を発表されました。福音化ということをテーマに、「宣教の霊性の神学」について勉強しました。


Q3.なぜ今回の改訂ということになったのですか?

大司教

 今年は第1回福音宣教推進全国会議(NICE-1)が開かれてちょうど20年になります。NICE-1は『エヴァンジェリイ・ヌンティアンディ(福音宣教)』の教えの影響を強く受けて、日本のカトリック教会の宣教のあり方を皆で考えようということで開かれたものです。わたくしはいろいろな機会にこの教皇様の教えを説明してきました。内容は副題のとおり「福音宣教と日本文化」です。
 ところで、ずっとずっと気にかかっていたことがあります。それは校正ミスがたくさん見つかっている、ということです。内容も古くなり全面的に書き直す必要を感じてきました。しかし、その余裕がありません。しかもその上、前教皇ヨハネ・パウロ二世は1990年に福音宣教についての新しい回勅『救い主の使命』を発表されました。その要点はぜひとも書き加えなければならないと思いました。このままにはしておけない、という思いが募り、最小限の修正と補足をすることにしたのです。修正と補足のための改定です。


Q4.岡田大司教は「言葉」にこだわりがあって(もちろん、よい意味で)、よく考
    え、吟味して使っていらっしゃると聞きましたが?

大司教

 そうですね、言葉の違いについて考えるのは好きですね。たとえば「思う」と「考える」の違いとか、「わたし」「わたくし」「私」とか・・・。言葉はその国に暮らす人のものであり、文化ですよね。文化と社会は一体です。そこには神の造った世界があり、創世記の表現を借りるなら、「それは極めてよい」ものに違いありません。しかし、同時に浄められなければならないものもあります。神によって浄めていただく、高めていただく、これが「福音化」だとわたしは思います。ただ、その国にはその国の習慣、儀礼、文化があります。それは当然尊重しなければなりません。その中で何が神の望みに合っているかいないか、良いものは取り入れ、悪いものは浄めていく必要があります。日本語も、日本文化もすばらしいです。そこにイエス・キリストの魂を吹き込んでもっとすばらしいものにしていけたらいいですね。日本の社会全体が神の国になるためにはどうしたらいいのか考えていきたいです。それが社会の福音化ということです。


Q5.この本はわたしたちの教会にとって、またわたしたち一人ひとりにとってどの
      ような関係がありますか?

大司教

 わたしたちの東京教区(東京都と千葉県)、この大都会に生きている人々のニーズ、生きる喜びや支えについて、また今どのようなことに飢え乾いているのかを、わたしたちは考える必要があると思います。その人たちに神の愛が伝わるような態度、表現が必要です。わたしたちが神の愛を信じる者として毎日をどのように生きていったらよいか、あるいはどういうふうに伝えたらよいかを皆で一緒に考え、求め、表現していくことが大切だと思います。そのためにこの本が少しでも役立つなら幸いです。


Q6.人とのつながり、神とのつながりの大切さを具体的に生きていく、表現してい
       くことがわたしたちには求められているということでしょうか。

大司教

 そうですね。人はつながりの中で生きています。見なくても信じる、感じなくても信じる、それが信仰です。ただ人間は体でしか表現することができません。信じるためにはしるし、根拠が必要です。神さまはいつもサインを送っておられます。でも、人間は神ではありませんから、そのサインが分からないことが多いのです。神からのサインの一つが「教会」です。神のサインとは「わたしはあなたのことを大事に思っていますよ」ということです。サインはその向こうにあるもの、つまり神を見なければなりません。たしかに神はサインを送り続けておられます。その頂点がイエス・キリストの十字架と復活です。言葉としるしというのは相手に伝えるためのものですから、そこに思いが、そして行動が伴っていなければうまく伝わりません。わたしたち一人ひとりが良いしるしとなって伝えることができますようにと願っています。

 


2007.4.13 広報部