名称: カトリック清瀬教会
教会堂名: 主の降誕
創立年月日: 1936年7月
主任司祭: フランシスコ・ザビエル 深水 正勝 (ふかみず まさかつ)
信徒数: 1,360人 (2010年12月31日現在)
主日のミサ:

日曜日 8:00 / 10:00(第2、4日曜日は手話)

第1日曜日 12:15(英語)  第3日曜日 12:15(タガログ語)

週日のミサ: 7:30  初金ミサ:第1金曜日 10:00
宣教協力体: 武蔵野北 →宣教協力体のページへ
教会学校:

土曜日 14:00-17:00(小・中・高・大学生みんなでいっしょに)

講座: 日曜日10時のミサ後 (主に求道者を対象としている)
福祉活動:
諸活動:
住所: 204-0022  東京都清瀬市松山1-21-12  地図(30KB)  Google地図へ
電話: 042-491-0104
Fax: 042-491-1744
身障者設備: スロープ(または、バリア・フリー)、身障者トイレ
交通案内: 西武池袋線「清瀬駅」南口より、徒歩7分。

 

【歴史】

清瀬教会の前身は 、1936年7月、ベタニア修道女会が所有していた今の秋津教会の地(清瀬市梅園)に、パリミッション会のヨゼフ・フロジャック神父が創設した教会にさかのぼる。
1936年といえば、日本が軍国主義の道を走り始める転機となったあの二・二六事件が起きた年ではあった。 しかし、当時の清瀬周辺は世間の喧嘩をよそに、のどかな農村地帯であり、人里離れて結核療養所やハンセン病患者を収容する全生園などが点在するだけだった。1940年には、西武鉄道清瀬駅の南、約100メートルのところにマリア会(約8,000坪の土地)が清瀬修練院を建て、松林の中に牛舎や納屋が点在していた。
清瀬修練院は80名が生活できる大きな建物で、マリア会の戦火を逃れた唯一の施設であったが、1947年6月、漏電による火災で全焼してしまった。焼け跡にはかまぼこ兵舎が再建されたが、清瀬駅周辺には次第に住宅が増え、商店街も出現して、修練院としては不適当な環境に変わってきたため、1958年に神奈川県の大磯に移転した。1958年5月にその跡地の一部を東京教区が譲り受けて、ドイツ・ケルン教区の援助による聖堂が建設され、 現在の清瀬教会が誕生した。それまでの清瀬教会は、秋津教会として再出発した。
1968年、献堂10周年を記念してルルドのマリア像を建立し、1970年には司祭館を増築した。1975年も半ばに入ると築後20年を経た聖堂(木造一部2階建て)の老朽化が進み、屋根を葦き替えたり、床を修理しなければならなかったが、献堂25周年に当たっては司祭館、信徒会館の建設を先行させることになった。信者による建設献金を開始し、1988年12月に現在の立派な建物が完成した。以後今日まで清瀬教会の伝統的な解放感のある明るい信者活動の場となっている。


また、1993年4月には府中カトリック墓地に当教会の共同墓地も完成した。
目下の急務は築後50年で老朽化が深刻な状況にある聖堂の建て替えである。

2007年には補強工事と内装工事を行い、献堂当時の面影をのこしながらも、内部は見違えるほど綺麗になった。そして、2008年5月に献堂50周年記念のミサが奉げられ、白柳枢機卿様はじめ、歴代の主任司祭方やご縁のある司祭の方々が共同司式をされ、大勢の信徒とともに感謝でお祝いをした。
現在の信者数は約1,200名。清瀬市だけでなく、近隣の市からも多くの信者が集まってくる。

交通の便のよさと十分な駐車場があるため、第1日曜日に行われているタガログ語ミサには200名ほどのフィリピン人信徒が参加している。                              

 

(河内山 典隆)

 

教区ニュース124号(1995年6月発行)より 抜粋 

 

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